◆ ○○の国が日本の他にあるか? あるなら言うてみい!!w 


RHAPSODY OF FIRE ~ Erian's Mystical Rhymes (Live in CANADA)


正論戦後 70 年に思う
先の戦争にどんな評価を下すか
東京大学名誉教授・平川祐弘
2015.08.13
(http://www.sankei.com/column/news/150813/clm1508130001-n1.html )




≪「日本よりいい国があるか」≫


ダンテの『神曲』が専門の私だが、個人と国家の体験を織り交ぜて『日本人に生まれて、まあよかった』(新潮新書)を出したら意外に読まれた。

戦前戦中戦後を知る私が、本音を語ったのがよかったらしい。


米国の旧知が「Born in Japan, it's nice ! あれは本当だ。今の日本くらいいい国がほかにあるものか。謝罪などせず、きちんと自己評価しろ」という。


それでやや先だが西暦 2045年、日本人が 100年前の戦争に対しどんな歴史評価を下すべきか、今から巨視的に考えておく。


まず微視的に私のことを述べると、中国でも何回も教えて親しい人もいる私だが、今の大陸の体制は御免蒙(こうむ)る。

私は自由を尊ぶ親米派だ。

戦争中も熱心に英語を勉強した。

父は洋行から帰るや昭和 15年、小学 3年の私に米国婦人に英語を習わせた。


その父が米国ロングビーチの油田を写した写真の裏に
「全ク林ノ如クヤグラヲ立チ居リ壮観ヲ極ム。吾等石炭ヨリ液化セント努力スルモ此ヤグラ一基カ二基ノ能力ヨリナシ。此石油産出状況ヲ見テ米ト戦ハン等、疾 (はや) ル人ノ夢タルノミ、在外武官ハ何ヲ視察シ調査、研究、報告シタルヤ」
と書いてあった。

「石炭から液化できなくはないがコストが高過ぎる」といった。


わが家は理系の合理主義で精神主義に批判的である。

8月 15日、玉音放送に引き続き「万斛 (ばんこく)ノ涙ヲ呑ミ」と内閣告諭が読み上げられるや理科少年の私は「180 万リットルも飲めるものか」と悪態をついた。


そんな家庭での歴史評価はどうか。

「五・一五や二・二六で重臣を殺した軍部が悪い」と父。

「大欲ハ無欲ニ似タリ。満洲国で止めておけばよかった」と兄。

「大きな声で言えないけれど、こうして空襲がなくて夜眠れるのは有難いね」と母。

それが敗戦 1 週間後の会話だった。

黙っていた中学 2 年の私も同感した。


原爆投下で立場が逆転した


戦災を免れたわが家は接収と決まる。

すると父はおなかの大きな姉を嫁ぎ先から呼び戻し「妊婦がいる」と占領軍の接収を延期させた。

しかし甥(おい)が生まれ姉が秋田へ戻ると一家は立ち退かざるを得ない。

和風の家にペンキを塗る足場が組まれる。

しかし「相手が米国だからお産がすむまで待ってくれたのだ。これがソ連ならそうはいかん」と父は言った。


私の歴史評価は当時も今も同じだ。

軍部が政府に従わず、解決の目途も立たぬまま中国で戦線を拡大した責任は大きい、また軍部に追随した新聞も悪い。


私は日米同盟の支持者だから左翼に悪用されても困ると大声では言わなかったが、先の大戦で軍国日本が悪玉だったとしても、1945年 8月 6日にその立場は逆転した――

そう判定している。


降伏交渉中の日本に原爆を投下した米国は極悪非道の悪玉で、米国の原罪は末永く記録されるだろう――

ダンテがいま『神曲』を書くならトルーマン大統領は、死ぬ前に原爆投下を命じた前非を悔いていないかぎり、地獄で焼かれているはずだ。


その罪を帳消しにするために「慰安婦 20 万」とか日本側の大虐殺とか誇大に主張する輩(やから)もいるらしいが、よし見ていろ、そうした良心面した連中の赤い舌は必ずや『神曲』未来篇で抜いてやる、と私は考えている。


そこでヒトラーは地獄のガス室に詰め込まれ、スターリンはさらに下層で氷漬けなのは、それだけ殺した人数が多いからだ。

だがさらに下に一人黄色い顔をした大物の主席が「こちらの方がもっと多いぞ」と居丈高である。

それが誰か皆わかるが、恐ろしくて名前を口にすることもできない。


大失策だったドイツとの同盟


ここで日本国家の行動を反省したい。


連合国は軍国日本についてまるで知らなかった。

日本が極東のドイツに擬せられたのは、日本がナチス・ドイツと同盟したからだ。

先の大戦でわが国の大失策は、ユダヤ人全滅を図った国と同盟を結んだことだ。


しかし日本はドイツがそんな是非を弁(わきま)えぬ人種政策を実行するとは、同盟を結んだ近衛文麿も松岡洋右も知らなかった。

ドイツで日夜精勤していた父もわからなかった。

それはいま大陸に勤務する日本人技術者や商社マンがチベット人弾圧の詳細を知らないのと同じだろう――。


そんな平川家は親独派で、一族は父も兄も義兄も私も旧制高等学校は理科でドイツ語を学んだ。

和独辞典を擦り切れるほど使ったのは父だ。

戦争末期にドイツから潜水艦で運ばれたというロケットの設計図の青写真が父のもとへ届けられた。

敗戦後、屋根裏に隠したが後で焼却した。


朝鮮についてはどうか。

「本国にもない大工場を植民地に建設した国が日本の他にあるか。あるなら言うてみい」と父は怒って言った。

鄭大均編『日韓併合期ベストエッセイ集』(ちくま文庫)はいい本で、そこに父も建設に参画したらしい硫安の工場の話が出ている。(ひらかわ すけひろ)




この記事は2015年8月26日保存の再投稿です。
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