◆ 敗戦真相記 ( 2) まえがき ―永野 護 


Tara's Theme ~ 映画『風邪と共に去りぬ』(米 1939年) より


永野護著敗戦真相記
2002年7月15日発刊


読者の皆様へバジリコ株式会社

現代の若い読者に広く読んで頂くために永野家の了解を得て以下のような編集・整理を行いました


 [わーい(嬉しい顔)] 
ということで、なにしろ 64年も前のものだし、永野護氏が明治 23年生まれということで、昔の漢字だとか、昔の言葉などを、現代風に直しました、といったことが書かれています。

私も、縦書きの本を横書きで書き写すので、漢数字を普通の数字にするとか、そういった手を加えましたが、あっ、ウッカリ誤字脱字もあると思いますが(笑)いずれにしても、内容に関しては全く手を加えていません。


まえがき


この小書は去る(昭和 20年)9月、広島で行った私の講演速記を基礎に、「自由国民」主筆、長谷川国雄氏に全文にわたって修正の労を煩わせたものであります。


流れの中に措いて流れの速さを身に感ずるほど、時代の推移の激しい今日、3か月も前の講演を今さら印刷に付するのもどうかと思いますが、その後の時局の変化は、私のこの講演の観察を裏書きしてくれたせいか、案外各方面に反響があり、是非まとまった本にしてくれるようにとの希望も多く、かたがた、当時の聴衆諸君に対する約束もありますので、敢えて公刊した次第です。


この 3か月の変化のうち、特に身にしみて感じますことは、進駐軍の態度によって我々日本人は、単に物質的方面ばかりでなく、精神的方面においても大いに学ばなければならない点が多々あることを教えられたことであります。


そうして真の自由主義的生活をするためには、いたずらにその形を真似るばかりでなく、その心構えから鍛え直さなければならないのですが、ともすると自由主義無責任・無秩序とを履き違えた行動の多いことを痛感するのです。


これは終戦前の独善と圧制と同じように、日本国民の文化的水準の低さを示す以外の何物でもないと思われます。


事実、この書中にも引例した蒋介石の終戦直後の演説のように、日本は文化的にも征服せらるべき劣等国と目されているのです。


我々は痛切にこの現実を自覚し、真剣な反省と努力とによって、日本国民の文化水準の向上をはかり、軍備より解放せられたる文化大国を再建することによって、今日の敗戦の弔鐘を、明日の勝利の暁鐘と転化し得ることと信じます。


私が、この書において言うを苦痛とするような点まで敢えて触れて、敗戦の真相を明らかにしたのは、日本が敗れたのは単に武力ばかりではなかったことを反省したいためであり、この小書が多少ともそれらの点について我が国民の参考になれば、望外の仕合わせと存じます。


昭和 20年 11月 23日
渋谷僑居にて 永野 護

     ◇

永野 護

実業家 政治家
1890年(明治 23年)生まれ。広島県出身。
東京帝国大学を卒業、渋沢栄一の秘書となる。
東洋製油取締役、山叶証券専務、丸宏証券会長、東京米穀取引所常務理事などを歴任。
戦中、戦後と衆議院議員2 期。 1958 年(昭和 33 年)、第 2 次岸信介内閣の運輸大臣。
実弟に
永野重雄(元・日本商工会議所会頭、元・新日本製鉄会長)
永野俊雄(元・五洋建設会長)
伍堂輝雄(元・日本航空会長)
永野鎮雄(元・参議院議員)
永野 治(元・石川島播磨重工業副社長)
がおり、そろって政財界で活躍、「永野兄弟」として知られた。
1970年(昭和 45年)に死去。80 歳。



永野護著敗戦真相記
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Tara's Theme ~ 映画風邪と共に去りぬ』(米 1939年) より

さあ! これから第二次世界大戦争勃発!!(苦笑)という時に、アメリカではこの超・豪華絢爛な総天然色(笑)の長編映画を製作していました。

映画の内容は南北戦争を描いたものですが、これがアメリカで上映された 6年後に、日本は、国家誕生以来、初めての、敗戦を迎えました。



この記事は2009年11月26日保存の再投稿です。

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