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◆≪テロ等準備罪(組織犯罪処罰法改正案)≫朝日新聞とか野党とかは、まさか「これ」を知らないってことはないだろうに(番外) (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

連続企業爆破事件の大道寺将司死刑囚が病死
2017.05.24
(www.sankei.com/affairs/news/170524/afr1705240022-n1.html )

三菱重工ビル(右)で起きた爆弾テロでは乗用車はつぶれ、路上一面にガラスが散乱した=昭和49年8月30日、東京都千代田区丸の内
三菱重工ビルで起きた爆弾テロでは乗用車はつぶれ路上一面にガラスが散乱した昭和49年8月30日東京都千代田区丸の内

昭和49年から50年にかけて「東アジア反日武装戦線」を名乗って東京・丸の内の三菱重工ビルを爆破するなどした「連続企業爆破事件」で、殺人罪などで死刑が確定した大道寺将司死刑囚(68)が24日午前11時39分、収容先の東京拘置所で多発性骨髄腫のため死亡した。法務省が発表した。

東京拘置所によると、平成22年に多発性骨髄腫と診断され、抗がん剤治療を受けていたという。

確定判決によると、大道寺死刑囚は益永(ますなが)利明死刑囚(68)らと共謀、昭和49年8月30日に三菱重工ビルを爆破し、死者8人を出すなどした。

東アジア反日武装戦線の「狼」「大地の牙」「さそり」の3つのグループが犯行声明を出し、警視庁は9カ月に及ぶ内偵捜査の末、50年5月、大道寺死刑囚らメンバーを一斉逮捕。
大道寺死刑囚は昭和62年、最高裁で死刑が確定した。

サンケイ新聞が昭和50年にスクープした、連続企業爆破犯・大道寺将司が逮捕連行される写真。この写真は昭和50年度の東京写真協会賞で、一般ニュース部門賞を受賞した。(小野義雄撮影) =東京都・地下鉄南千住駅前 1975年05月19日撮影
サンケイ新聞が昭和50年にスクープした
連続企業爆破犯・大道寺将司が逮捕連行される写真
この写真は昭和50年度の東京写真協会賞で一般ニュース部門賞を受賞した
小野義雄撮影)=東京都地下鉄南千住駅前 
1975年05月19日撮影



連続企業爆破事件 三菱重工ビル爆破事件の現場 =東京都千代田区丸の内
連続企業爆破事件 三菱重工ビル爆破事件の現場
東京都千代田区丸の内


大道寺 将司
(Wikipedia )

日本の新左翼活動家、俳人。
東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバーで、リーダー格の人物。

北海道釧路市出身。小学生時代より、新聞を丹念に読み、スクラップ帳を作る父親や、北海道議会議員だった母親の義理の兄と、その息子で高校生ながらに60年安保反対運動の先頭に立っていた太田昌国らの影響から、政治への関心を持つようになる。

中学校入学後は学区の中にアイヌ居住区が含まれていたため、多くのアイヌの同級生たちと交流する中で、その厳しい暮らしぶりや中学3年時でのアイヌに対する就職差別を目の当たりにし、問題意識を抱くようになった。

北海道釧路湖陵高等学校入学後はさまざまなデモに参加するようになる。
同高を卒業後、大阪外国語大学を受験。不合格となるが、そのまま大阪に残り、釜ヶ崎近辺での約一年間の生活を経て、早稲田大学受験を口実に上京。
実際には試験は受けず、そのまま浪人生活を送りながら、高校の同級生らとさまざまなデモに参加。そのなかで高校の先輩たちが中心の社会主義研究会に参加するようになる。

この研究会の意向で法政大学に同会の運動の足場を固めるべく、同大文学部史学科に入学。
入学当初は文学部の自治会を掌握していた「社青同解放派」と行動したが、セクトの上意下達の雰囲気に馴染めず、大学のクラスメイトだった片岡利明らと法政大学Lクラス闘争委員会を結成した。
他学科の哲学科や国文科(現在の日本文学科)にも参加を呼びかけた結果、一時は百数十名にも膨れ上がったが、全共闘運動、70年安保闘争の「敗北」とともに自然消滅する。

大学も中退したが、闘争の継続の為に、片岡らLクラス闘争委員会のメンバー数人と共に研究会を結成。
1970年7月7日に出された華僑青年闘争委員会の、新左翼各派に対する「決別宣言」に衝撃を受ける。
このことをきっかけにこの「研究会」では、「日本帝国主義」がアジアで行ってきた「悪行」について集中的に学習し、過激な反日思想を醸成させていった。
そして北海道出身の大道寺にとってはアイヌへの贖罪意識があった。

やがてやがてゲリラ闘争への転換を決意し、
 ・反日戦線結成前(1971年)の「興亜観音・殉国七士之碑爆破事件」、
 ・風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件、
 ・1972年末東アジア反日武装戦線「狼」部隊結成。
その後、
・お召し列車爆破未遂事件(虹作戦)
・三菱重工爆破事件
を含む9件の「連続企業爆破事件」を起こす。
三菱重工爆破事件では時限爆弾のペール缶を爆破現場に設置した。
後に9件の爆破事件で起訴された。

裁判中、容易に自供に応じたことへの後悔の念と、初期の支援団体を率いていた「狼」のメンバー佐々木規夫の兄らに焚き付けられるように激しい獄中闘争・法廷闘争を展開。

その渦中において、日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件ならびにダッカ日航機ハイジャック事件によって、「狼」のメンバーであった佐々木や大道寺あや子(高校の同級生で、東京での浪人時代からの活動仲間であり、将司の妻)および「大地の牙」メンバーであった浴田由紀子が超法規的措置で釈放・出国したが、しばらくして大道寺はこの釈放を日本赤軍に対して仲間を連れ去ったと不快感を示している。

最高裁において1987年3月24日に死刑が確定した。
死刑が確定しながら執行されなかったのは、かつての「狼」メンバーであり、企業爆破に関与した佐々木および大道寺あや子が、日本赤軍が起こした2件のハイジャック事件(クアラルンプール事件・ダッカ日航機ハイジャック事件)の際、日本赤軍側の要求を呑んだ日本政府による超法規的措置として出獄し、海外において日本赤軍に合流後の消息が不明となっており、裁判が終了していないためとされる。

一方で獄中から、松下竜一、中山千夏、辺見庸らの知識人との交流の過程において、自身も文芸活動を開始。獄中で詠んだ句集『棺一基』は、2013年日本一行詩大賞の俳句部門を受賞した。

再審請求中であったが、2008年の最高裁で棄却された。
2017年5月24日、多発性骨髄腫により収監中の東京拘置所で死去。

〔参考〕
古田博司著新しい神の国
第3章 贖罪大国日本の崩壊


 4. 贖罪の宣伝戦
  (natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-374.html )
 5.倫理の高みにのぼった中共
  (natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-375.html )
 6. 軍民二分論の破綻
  (natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-376.html )
 7. 韓国人の中国人評
  (natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-377.html )
 8. 朝鮮への贖罪工作
  (natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-378.html )
 9. 良心的知識人たちの善意
  (natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-379.html )
10. 贖罪大国の崩壊
  (natsunokoibito.blog.fc2.com/blog-entry-380.html )


超法規的措置
(Wikipedia )

日本の事例

戦後の日本においては、日本赤軍が人質を取り獄中のメンバー釈放を要求した日本赤軍事件クアラルンプール事件ダッカ日航機ハイジャック事件)がある。
その結果、獄中にいる11人のメンバーが釈放された。
(中略)
この際、獄中メンバーが日本赤軍に参加するために出国する際には、日本国政府の正規の旅券が発行された(日本国のパスポートは、出国直後に旅券法の返納命令を受けて返却された)。
また、身代金に加えて、獄中メンバーが働いた獄中労務金が上乗せされた金が釈放メンバーに渡された。

釈放されたメンバー11人のうち5人は、身柄を確保された後に裁判が開始された。
超法規的措置による釈放は、国家の訴追権を放棄したものではないとして、釈放前に起訴されていた罪の訴追も有効として裁判続行が認められ、5人の有罪が確定した。
ただし、刑が確定して服役中だったメンバー2人については、服役事由の罪については、刑法が規定した刑の時効が成立している。
現在も逃亡中のメンバーは6人である。


重信房子
(Wikipedia )

1971年に「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとする。
奥平剛士と偽装結婚し、(奥平剛士は1972年5月、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為で死亡)「奥平房子」という戸籍を得て2月28日に出国。
なお重信は、後にパレスチナ人男性と結婚した。

その後パレスチナで日本赤軍を結成し、創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等と称し、その名称さえきちんと定まっていなかったが、1974年以降、「日本赤軍」を正式名称とした。

重信が最高指導者となった日本赤軍は、レバノンのベカー高原を主な根拠地に「革命運動」を自称し1970年代から1980年代にかけて、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、一連のハイジャックや空港内での乱射事件などの無差別殺人を起こした。

さらに外国公館の政府要人やハイジャックした飛行機の乗客を人質に取って、身代金や仲間の奪還を目論む事件を起こしたり、外国公館に攻撃をするなど、多数の民間人をも巻き込んだテロ事件を繰り返し世界各国から非難を受けた。

その後、重信はハーグ事件への関与で国際指名手配を受けたものの逃亡を続け、不法に入手した偽造旅券を使って日本に不法入国、しばらく大阪市西成区のマンションに潜伏していた。
2000年、日本赤軍の支援者を視察していた大阪府警警備部公安第三課は、視察対象者が重信に似た女性と接触していたのを現認した。重信はホクロが特徴となっていたが、化粧でホクロを隠していた。

重信に似た女の視察を始めた同公安第三課は、特有のタバコの吸い方から重信本人と突き止めた。
また公安第三課は重信に似た女が某所で飲んだ際に使用されたコーヒーカップから指紋を採取し、重信の指紋と一致した。
11月8日に潜伏していた大阪府高槻市(辻本清美の拠点)において旅券法違反容疑で逮捕され、現在、八王子医療刑務所にて服役。71歳。


ハーグ事件
(Wikipedia )

1974年9月13日、日本赤軍の和光晴生と奥平純三、西川純が、オランダのデン・ハーグにあるフランス大使館を短銃で武装し占拠。この際オランダの警察官2名が撃たれ重傷を負った。
事件には最高幹部の重信房子も関与していた。

犯人らは大使館員ら11名を人質にし、身代金として30万ドルと、日本企業の駐在員誘拐をもくろんだものの失敗し、フランス当局に収監中の日本赤軍メンバーである「スズキ(山田義昭)」の釈放を要求した。

オランダ政府は最終的に30万ドルを払い人質を解放、フランス政府は山田を釈放し、その後犯人グループは19日に逃亡先のシリアで投降した。

犯人たちはその後1975年のクアラルンプール事件にも関わり、1977年9月に発生したダッカ日航機ハイジャック事件による犯人の要求で奥平が超法規的措置として釈放され、現在も国外逃亡しており、国際指名手配されている。


テルアビブ空港乱射事件
(Wikipedia )

1972年5月8日、パレスチナ過激派テロリスト4人が、ベルギーのブリュッセル発、イスラエルのテルアビブ行きのサベナ航空のボーイング707型機をハイジャックしてロッド国際空港に着陸させ、逮捕されている仲間317人の解放をイスラエル政府に要求した(サベナ航空572便ハイジャック事件)。
しかし、イスラエル政府はテロリストによる要求を拒否し、ハイジャックしているテロリストを制圧、犯人の内2人は射殺され、残る2人も逮捕されて、93人の人質の解放に成功したものの、乗客1人が銃撃戦で死亡した。

パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は「報復」としてイスラエルのロッド国際空港を襲撃することを計画。
だが、アラブ人ではロッド国際空港の厳重警戒を潜り抜けるのは困難と予想されたため、PFLPは日本赤軍の奥平に協力を依頼、日本人によるロッド国際空港の襲撃が行われた。

犯行を実行したのは、日本赤軍幹部の奥平剛士(当時27歳)と、京都大学の学生だった安田安之(当時25歳)、鹿児島大学の学生だった岡本公三(当時25歳)の3名である。

フランスのパリ発ローマ経由のエールフランス機でロッド国際空港に着いた3人は、スーツケースから取り出したVz 58自動小銃を旅客ターミナル内の乗降客や空港内の警備隊に向けて無差別に乱射、さらに、ターミナル前に乗客を乗せて駐機していたエル・アル航空の旅客機に向けて手榴弾を2発投げつけた。
この無差別乱射により、乗降客を中心に26人が殺害され、73人が重軽傷を負った。
その後、岡本は警備隊に取り押さえられ、奥平と安田は死亡した。


クアラルンプール事件
(Wikipedia )

1975年8月4日に「日本赤軍」が在マレーシアのアメリカとスウェーデンの大使館を占拠して職員ら約50名を人質として、日本国内の刑務所に収監中の囚人7人の解放を要求したテロ事件


ダッカ日航機ハイジャック事件
(Wikipedia )

1977年9月28日、フランスのパリ=シャルル・ド・ゴール空港発東京国際空港行きの日本航空472便が、経由地のインドのムンバイ空港を離陸直後、拳銃、手榴弾などで武装した日本赤軍グループ5名によりハイジャックされた。
同機はカルカッタ方面に一旦向かった後、進路を変更してバングラデシュの首都ダッカのジア国際空港に強行着陸。

犯人グループは人質の身代金として600万ドル(当時の為替レート約16億円)と、日本で服役および勾留中の9名(奥平純三、城崎勉、大道寺あや子、浴田由紀子、泉水博、仁平映、植垣康博、知念功、大村寿雄)の釈放と日本赤軍への参加を要求し、これが拒否された場合、または回答が無い場合は人質を順次殺害すると警告した。


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