◆ 第3章 (8) 朝鮮への贖罪工作 


GIPSY KINGS ~ Trista Pena ―悲しき罰  (1989)


古田博司著新しい神の国

第3章 贖罪大国日本の崩壊


8. 朝鮮への贖罪工作


では、その朝鮮に対する方の贖罪はどのように形成されていったのだろうか。

これは調べてみると、 中国同様、1958年(昭和33年。終戦から13年後)から始まることがわかった。

この年の 12月号の『中央公論』に、藤島宇内(詩人・評論家)・丸山邦男(評論家、丸山眞男の弟)・村上兵衛(作家 )による共同執筆「在日朝鮮人60万人の現実」が載る。

そしてこれに応えるように同年『世界』の 12月号に、無名の鄭雨澤(朝鮮総連役員、31歳)の「帰国を希望する在日朝鮮人」という手記が読者の頁で取り上げられるのである。


両者が呼応していたことは、後に藤島宇内が翌年の同誌 10月号の「朝鮮人帰国と日本人の盲点」で率直に述べている。

そして2つの論稿は共鳴し合い、
「日に日に隆盛発展する朝鮮民主主義人民共和国」
「朝鮮民主主義人民共和国は隆盛発展の一路を辿り」
云々という嘘を吐き出しつつ、日本で貧窮にあえいでいる在日朝鮮人が 「祖国の暖かい懐に抱かれたい」と願っている、と煽ったのであった。


これに先立ち日韓会談(日韓国交正常化交渉)が再開されており、これへの対抗策として、

「9月 16日、北鮮(ママ)の南日外相が在日朝鮮人の帰国希望を歓迎し、生活も保護すると言明するとともに、日本政府に対し、配船の用意があるから帰国希望者を北鮮(ママ)に引渡す措置を講ずるよう要求すると声明したことに応じて」

「在日朝鮮人総連合会は 10月30日を全国的帰国要請デ―と決め、強力な運動を展開しはじめた」

  (読売新聞、1958年 10月22日付)。


いわゆる「北送事業」の開始である。

その結果、1959年 12月 14日に第一次船が、975人の在日朝鮮人乗せて清津港に出航し、以後、1967年 12月まで 15回にわたり、計8万8611人が北に渡った。

一時中断されたが、1971年5月には再開され、その数は総計9万3000人(日本人配偶者を含む)に上ったのであった。


朝鮮総連は
「 教育も医療も無料の社会主義祖国」
「 地上の楽園」
などのプロパガンダを繰り返したが、その結果多くの人々が北に渡り、独裁体制下で差別と貧窮に呻吟して斃(たお)れていったことは、今日では周知の事実であろう。


藤島宇内は北送開始2ヵ月前の 1959年 10月号の『世界』で前述の「朝鮮人帰国と日本人の盲点」を公表し、「戦後になってもアジアに対する侵略者としての心性を捨て切っていない日本の無自覚さ」が 帰国事業を妨げていると批判し、日本人の贖罪を喚起しはじめた。


1960年 1月には、先の丸山邦男と共に平壌に招かれ、9月号の世界では「朝鮮と日本人 ―極東の緊張と日・米帝国主義」なる論稿を発表、ここで先の朝鮮総連鄭雨澤の投稿中にあった
「元来、在日朝鮮人は、日本に来たくて来たのではなかった。在日60万のほとんどは日本軍閥によって、侵略戦争遂行のため、“強制的” に集団移住させられたり、“徴兵徴用” されて来たものである」(“” は傍点=筆者)
を総括し、これを朝鮮人強制連行と初めて命名した


これも既に周知のように単なるプロパガンダであり、首都大学東京の鄭大均教授が『在日・強制連行の神話』(文芸新書、2004年)の中で、在日朝鮮人の一世で日本に来たのは 1930年代の出稼ぎ労働者が典型的であり、戦時中の労務動員(徴用)で日本に来た者は、戦後ほとんどが故国に帰還しているというこを実証済みである。


同書によると、「強制連行」というプロパガンダは、この後、朝鮮総連系の朝鮮大学校の教員だった朴慶植が、『朝鮮人強制連行の記録』という本を 1965年に上梓し、「朝鮮人は好んで日本にやってきたわけではなかった」というテーゼに、無理やり都合のよい資料を貼り付けることによって宣伝媒体をつくり上げた結果、絶大な威力を発揮し、日本中に広まってしまったのだという。


後に鄭大均教授はこの本の内容を簡潔にまとめ、

「もう少し具体的にいえば、『朝鮮人強制連行の記録』刊行以前に影響力があったのは森田芳夫の『在日朝鮮人処遇の推移と現状』(1955年)という文書である。

法務研究報告書として作成された同書で、森田は在日一世の多くは『出かせぎ者』であり、より良い生活をするために朝鮮の故郷を離れたのだと述べているのだが」

と、先行研究を紹介し、

在日コリアン一世の中に「労務動員」や「徴用」の過程で来日し、そのまま住みついた人間がいるのは事実であろう。

だが、これをして「強制連行」と呼ぶのは後世の発明であり、しかも一世の多くのものたちは自分たちがむしろ選択的、任意的にこの地にやってきたことを知っていたからである。

(中略)

だが、一世の物語を記したのは一世というよりは 1・5 世たちであり、彼らはしばしば一世を代弁するかのようにその体験を語った。

1・5 世とは、幼少期に親とともに朝鮮半島から「内地」にやってきたものたちの意で、一世が教育の機会に恵まれなかったのに対し、1・5 世は日本で教育を受ける機会に恵まれたから、彼らの中から親たちの物語を記す人間が出てきたのは当然のなりゆきであった。

強制連行論の世界でバイブル的存在である『朝鮮人強制連行の記録』(未来社、1965年)を著した朴慶植もその一人であった。

  (鄭大均・古田博司編
  『韓国・北朝鮮の嘘を見破る』文春新書、2006年2刷)

と、穏健に述べている。


朝鮮人強制連行とは、子供の頃日本に来て、差別と闘いながら、教育により社会の階梯を必死によじ登っていった、1・5 世たちの創った壮大なフィクションだったのだろう。

その祖型を指し示すのが上述の藤島宇内の論稿であった。



吉田茂からマッカーサーに宛てた文書
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新しい神の国 ☆ もくじ
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第3章 贖罪大国日本の崩壊

1.戦後日本の 「愛国しない心」
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2.韓国での排外体験
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3.愛国心とナショナリズム
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4.贖罪の宣伝戦
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5.「倫理の高み」 にのぼった中共
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6.軍民二分論の破綻
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7.韓国人の中国人評
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8.朝鮮への贖罪工作
  (―)
9.良心的知識人たちの 「善意」
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10.贖罪大国の崩壊
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文明の衝突
日本は東アジアの一員じゃない目次
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